いわて哲学カフェ

「てつがく」することを「楽しむ」ために

「イタイ」とはどういうことか?ーーー東京の大学生さんが主体の哲学対話(上)

※今回の記事は途中までです。

続きは後日upします。

 

ご存知の方も多いと思いますが、コロナウイルスの影響で

様々なオンラインイベントが開催されていますね。

私(=このブログの管理者)も、自宅で過ごすことが多いため、

読書会や雑談的なイベントへ顔を出すようになりました。

 

哲学カフェもその例外ではなく、

全国の哲学カフェがオンラインへ乗り出しています。

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今まで参加することのできなかった地方の哲学カフェへ

参加することが可能な状態です。

私も、東京の学生さん主体の哲学カフェ、

九州の哲学カフェ、

以前参加していた関西の哲学対話、

全国の哲学カフェ主催者の集いetc.へ参加しております。

 

もちろん、コロナで本当に苦労していらっしゃる方もおり、

諸手を挙げて喜ぶには微妙な状況です。

しかし逆に、人と人との接触が断たれている、

しかも、家の中に押し込められてそれが苦痛だと言う方もいらっしゃるため、

「対話の場を開く」ことの意義がいつも以上に高まっている、と言えるかも。

 

そんな時に私は、自分が主催している哲学カフェを離れて

「わぁ~参加者として対話へ参加するの楽しぃ~~~」

などと他の哲学カフェへ入り浸っていたわけですが…。

 

とりあえず、今まで参加させて頂いた哲学カフェの感想などを

書いてみようかと思います。

今回は、東京の某大学の方々が主体となって運営されている

哲学カフェについてです。

(ちょっと勝手な忖度をし、大学名は伏せておきます)

 

興味深かったのは、

「同年代の人たちと意見交換できる場を作りたい」と言う趣旨の下、

この哲学カフェで参加可能なのが「学生」であったこと。

 

『考えるとはどういうことか』と言う本によれば、

参加者の方の多様性を確保することは、哲学対話において重要であるそう。

その理由は、多様性が確保されるほど、

価値観など‘根本的な事柄’が問われることになるからだそうです。

(似通った者同士で集まっても、

些末な違いしか問題とならない、とのこと)

 

その視点(≒多様性の確保)で見ると、

参加者をある属性に限定すること(一方の性別だけ、若者だけetc.)は、

あまり望ましくはない、と考えられます。

属性が似ていれば、ある程度考え方も似通ってくる可能性が高いので。

 

ところが…上記の学生主体の哲学対話では、

予想以上に‘しっかりとした’対話が行われている、と感じました。

少なくとも、単に「わかる、わかる~」と共感しあうような話し合いではなく、

「え、そうかなぁ」という異論が出てきて、

その対立点=論点について話し合うような対話となっていたのです。

 

なぜ、そのような対話になっていたのか?

以下、簡単ですが、

その学生さん主体の哲学対話に参加した私なりのレポートです。

 

参加者の方々は、ほぼ知り合い同士で、

主催者さんと同じ大学の人達だったようです。

ゆる~い感じで始まりました。

Zoomでの開催だったので、自宅からと思しき人が多く、

皆さんリラックスムード。

初対面の方同士が一堂に会することの多い「いわて哲学カフェ」とは

違ってある意味新鮮。

 

まず最初に、自己紹介代わりに、参加者の人がそれぞれ

「好きな、あるいは最近読んで面白かった本や漫画」を挙げていきました。

(ちなみに、私が挙げたのは千葉雅也さんの『勉強の哲学』)

 

次に、30分ぐらいかけて「問い出し」をしました。

20個ぐらいの問いが次々と提出されたのですが、

主なものは、以下の通り。

「センスとは何か」

「知らなくてもいいことって何?」

「なぜ音楽は人の心を動かすのか」

「褒められると嬉しいのはなぜか?」

「漫画の感動的な場面で風が吹くのはなぜか」

「『意味があること』とは何か」etc.

 

上記の問いの中から、多数決で話し合いたい問いを決めていきます。

その日選ばれたのは、「イタイってどういうことか」でした。

「膝を擦りむいて痛い」ではなく、

「あいつ、イタイよね…」の方です。

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早速対話スタート。

(続きは、後日upします。)