いわて哲学カフェ

「てつがく」することを「楽しむ」ために

(更新:2020/2/22(土))「喫茶店」ではない…「てつがくカフェ」とは何かについて

「哲学カフェとは何か?」

 

これ自体一つのテーマとして対話が出来そうな問いですし、

また、私(=ブログ管理人)が知ったような口を利くのは

おこがましいのですが、簡単にご説明します。

あくまでも、‘私による’‘まだ哲学カフェをご存じでない方へ向けた’説明で

ある、と言う点をご留意下さい。

 

(↓2017年3月に行われた、「神戸てつがくカフェ」何やら皆さん

考え込んでおられるご様子)

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哲学カフェとは、あるテーマについて参加者の方同士で語り合い、

考える‘場’です。

「進行役」がいて、対話の‘土壌作り’や‘交通整理’をしますが、

あくまでも主役は参加者の方々です。

 

しかし、この説明ではまだ漠然としており、

イメージが湧かないかもしれません。

そこで、「日常会話」「会議やディベート」「セミナー」との違いから、

哲学カフェについて説明します。

 

では、「哲学カフェ」と「日常会話」はどこが違うのか?

一つには、「自由な語りができるように工夫されている」と言う点です。

 

日常会話は、たとえそれが親しい友人や家族の間で行われるものとしても、

何だかんだ、あまり自由な発言をすることはできないのではないでしょうか。

相手の関心に沿った話題を提供しなければならない、

自分の‘キャラ’と違う発言をして変な目で見られたくない、

誰かから非難されるんじゃないか…etc.

 

一方で、哲学カフェでは、基本的に何をしゃべっていただいても構いません。

それがテーマに関することで、

他の参加者への人格攻撃とならないのであれば、

ご自身が思っていることをそのまま口にして頂いて構いません。

むしろその事が対話を盛り上げます。

 

自由に発言して頂くための工夫として、

哲学カフェではいくつかのルールが設定されています。

(ex.話をさえぎらずに最後まで聞く)

また、お互いの肩書がわからないように、

基本的に自己紹介はしません。

例えばどこかの社長さんがいらっしゃって、

その方の発言が哲学カフェの場で影響力を持つ、

などと言ったことがないように。

あくまでも‘対等な’話し合いを目指します。

 

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次に、「哲学カフェ」と「会議やディベート」との違いについて。

それは、「統一的な結論を出すことを目指さない」点です。

 

会議では、その場での結論を出すために、

最終的に多数決が行われたりします。

しかも、その決定に参加者が従わなければならない場合がほとんどなので、

少数意見の人に不満が出たりします。

 

一方「哲学カフェ」では、結論を出すことを目指しません。

あくまでも、参加者の方同士が‘一緒に’考えているだけであって、

それぞれが考えることがバラバラであっても構いません。

例えば、「幸せとは何か」と言うテーマで対話を行う場合、

ある人は「幸せは他者と分かち合うことができるか」と言う切り口で考え、

一方、他の人は「幸せとお金の関係」を切り口とする、など。

それでも、同じテーマについて考えている以上、

自分の考えと他の人の考えが関係してくる事は有り得るはずです。

 

最後に、セミナーとの違いについて。

セミナーでは、講師から参加者の知識の提供が行われますが、

一方哲学カフェは、大学教授が進行役を務める場合もありますが、

あくまでも参加者の方同士での対等な対話がメインです。

つまり、セミナーには専門家と非専門家の‘上下関係’があるのに対し、

哲学カフェにはそれがありません。

 

以上が、ここでの哲学カフェの説明となります。

他の説明の仕方もあると思いますので、

ご関心があれば、インターネット等で調べてみて下さい。

 

参考文献

 

梶谷真司(2018).考えるとはどういうことか――

 0歳から100歳までの哲学入門.幻冬舎

松川絵里・樫本直樹・寺田俊郎・三浦隆宏・高橋綾・桑原英之・井尻貴子・

 中川雅道・藤本啓子・西村高宏・辻明典・本間直樹・西川勝(2014).シリーズ臨床哲 学 第2巻 哲学カフェのつくりかた.鷲田清一(監修).大阪大学出版会